1. 聖書 [Bible][The book]
聖書とはどんな書物ですか
- 聖書はキリスト教の正典です。
- キリスト信者の信仰の中心であり土台です。
- 聖書は神の聖霊の感動により人間の手によって書かれた啓示の書物です。
- 聖書は旧約聖書と新約聖書の2巻に分別されます。
- 旧約聖書は39巻、新約聖書は27巻、合計66巻の書物から成立しています。
- 旧約聖書はモーセ五書、別名「律法の書」、歴史書、預言書の3大区別がされています。
- 新約聖書はキリストの生涯の記録四福音書を中心に、弟子たちの宣教活動の記録、そして使徒パウロ、ペテロ、ヨハネなどの手紙の集録、そして世界の終末の預言した黙示録などから成立しています。
- 旧約聖書には天地創造の由来から人間の罪への堕落、エデンの園からの追放やがてアブラハムを通じユダヤ民族が始まり、ユダヤ民族の中から救世主が生まれることが預言されています。モーセを通して人類への神の教えである十戒などがあります。イスラエルの歴史を通しての神の教え、預言者を通しての警告と預言などが主な内容です。
聖書の書かれた年代はいつごろですか
- 旧約聖書はモーセによって書き始められたと考えられています。モーセはBC1500 年ごろに存在した歴史上の人物です。旧約聖書の最後の著者はBC400年ごろの預言者です。
- 新約聖書はキリストの弟子たちによってキリストの生涯の行動と語録が記録されました。弟子たちの教会を励まし教えを与えた手紙などが集録されています。年代はAD50年ごろから100年ごろまでに集録された書物です。
聖書の書かれた原語は何語ですか
- 旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシャ語で書かれました。
- ギリシャ語は当時のローマ時代では地中海世界での共通国際語の役目果たしていました。
聖書は世界で最初に翻訳事業がなされた書物です
- 旧約聖書はBC3世紀のころ、当時のユダヤ聖書学者たち70人が、エジプトのアレキサンドリアでヘブライ語からギリシャ語に翻訳を完成させました。これはギリシャ語で「セプタ・ギンタ」(日本語で七十人訳聖書)と呼ばれております。
- 新約聖書がギリシャ語からラテン語へ翻訳されたのは4世紀ころです。ヒエロニムスが翻訳事業を生涯をかけて完成させました。その聖書を「ウルガータ」と呼んでいます。今でもカトリックではウルガータを用いています。
- 聖書がそれぞれの民族語や国語に翻訳され始めたのは14世紀の頃からですが16世紀のころから盛んになりました。日本語の聖書翻訳事業は明治中ごろに完成しました。
- 世界の使用言語の中の2000言語以上に翻訳されています。どんな少数民族や部族にも聖書が彼らの言語で読めるようになっています。
聖書は永遠のベストセラーです
グーデンベルグがドイツで活版印刷を発明し印刷技術は革命的に大量印刷が可能になり発展しました。グーデンベルグが最初に印刷した書物は聖書でした。それ以来、聖書は世界中で今日至るまで、どの書物よりも多く印刷され世界中に配布され続けています。圧倒的な数量で他の書物を引き離しています。毎年何億冊も印刷されています。日本でもクリスチャンでない家庭に聖書が本棚に置かれていると思います。
2. 神様の特性
- 天地、万物の創造主、支配者、唯一、全能者、聖なるお方である。
- 人間が理解できるように同じく人格を有しておられる。
- 御性質は愛と憐れみ深いお方である。
イエスキリストの特性、務め、その人生と神の教えの拡大
- イエス様は父なる神様のひとり子であります。
- イエス様は世界の創造主であります。
- イエス様の来られた目的は、人間を罪の滅びから救いだすために天から人間の姿をもって来られたお方です。
- イエス様は聖霊により処女マリヤの懐胎によってこの世界に来られました。
- イエス様は罪のない方としてこの世界に来られました。
- イエス様は神のひとり子であると同時に完全な人間としてこの世界に来られました。
- イエス様は旧約聖書の預言の成就としてユダヤのベツレヘムに人知れず密かに家畜小屋の中で飼葉桶に幼い身を置かれました。
- イエス様はおよそ30歳になるころまではガリラヤ地方のナザレの村で成長されました。その職業は父ヨセフと同じ大工でありました。
- イエス様は30歳のころに公の生涯をスタートされ、世に向かって救い主としての歩みを始められました。
- 3年6カ月の公の生涯の中で奇蹟の癒し、不思議なわざを行い、神の国の到来を告げられ、人々に罪を悔い改めて神に会う備えをするように説かれました。
- 当時の宗教家の妬みを買い、弟子のユダの裏切りにより、捕えられ裁判に掛けられ、冤罪でありましたが神を冒涜した罪とローマ皇帝に反逆した二重の罪により死刑の判決を受けました。
- イエス様は人々から嘲られ、罵られ、鞭打たれ、つばを掛けられ、茨の冠をかぶせられ、裸にさせられ、朝の9時に自ら運んだ十字架にエルサレムの場外のゴルゴダの丘の上で釘付けられました。午後3時に壮絶な最期で息を引き取りました。
- その日の夕方に刑場のそばにあった墓に布に包まれ葬られました。
- 3日目の日曜日早朝に墓を破り復活をされました。以前から予告されていた通りに甦られたのです。復活の姿を40日間にわたって多くの弟子たちに複数回現され、復活が歴史上の事実であることを証明されました。
- イエス様は復活の証明後40日目に元におられた天に帰って行かれました。
- 復活後50日目に一同に集まって祈りをささげていた120人の弟子たちに、約束の聖霊が注がれ、弟子たちも神の霊に満たされて、奇蹟を行い、キリストの救いの福音を宣べ伝え全世界の宣教に生涯をささげた結果、2000年後、現在のキリスト教の隆盛の基礎となりました。
- イエス様の十字架は人間の負うべき罪の罰の身代わりであり、罪の呪いの身代わりとなられたのです。キリストの十字架の苦しみ悩みは人間の罪のため、あなたや私の罪のためでありました。
4. キリスト教の全体の流れ
神様による天地創造、最後に人間の創造。エデンの園に最初の人アダムが置かれる。
アダムとエバが神に背き人類に罪が侵入。神様は人類救済の計画を立てる。
アブラハムを選びユダヤ人の先祖とする。ユダヤ人を選び神の計画をスタートさせる。
預言者モーセを用いて人類に十戒を与える。旧約聖書を通じて基本的啓示を人類に与える。ダビデ王の家計から救い主を与える預言。やがて予言通りにベツレヘムにキリストが降臨される。キリストが十字架で死を遂げられ全人類の罪を背負われ、罪の問題を解決され、父の神との和解が成立する。キリストの復活により神の子としての証明がされる。エデンの園を追放された人間は再び神の栄光の中に導かれ神の子どもとしての特権を回復される。
キリスト教よくある質問
- 「三位一体:さんみいったい」とはどんな意味ですか
- これは神学用語ですが最近は政治家が使用したりして結構日本でも知られていることばです。日本語に「さんみいったい」と訳されたことばは英語ではTrinityと言います。「父なる神様、子なる神様(イエスキリストのこと)、聖霊なる神様」を指している神学的なことばです。聖書を詳しく注意深く読めば、神様は三位一体のようなお方であると考える事が出来ます。神様には父の務め、子としての務め、影にあって母のような務めをされる聖霊。例えば田中さん家族を例に取りましょう。お父さん、お母さん、息子がいるとします。誰かが「田中さん」と呼べば3人とも振り向いて「何ですか」と答えます。3人とも田中さんだからです。お父さん、お母さん、子供も人間としての本質は同じです。ただそれぞれに人格がありますが、務めや責務や働きが違うのです。父なる神様も子なる神様も聖霊なる神様も「神様として同質」であります。この三位一体なる神様は完全な一致があります。まるでひとりのように存在しているのです。
- この世界に何故、戦争、貧困、差別、犯罪、憎悪、悩み苦しみがあるのですか
- 何故、この世界に様々な悩み問題があるのでしょうか。本当に困ったことですね。神様はこの世界を創造された時に人間に多くの支配権を任されました。しかし、人間はエデンの園においてアダムが神様の教えに不従順を犯してから、罪が人間は入り込み、罪の性質、DNAが形成されました。それ以来、人間は神様に従順するよりも、自分の判断で生きるようになりました。神様は要らないと考えるようになりました。その結果人間社会は罪の性質により、様々な無秩序や不道徳や犯罪、貪欲、自己中心の社会となり、神様のいないような社会を作り上げてしまったのです。すべては神様に背いた罪の結果なのです。神様の責任ではありません。人間は神様から離れてしまったのです。それが罪の本質なのです。罪を犯しやすい人間となっているのです。神のもとを離れた罪人だから罪を犯すのです。
- 罪の結果はどうなりますか
- この世では、肉体の死をもたらしました。そして不幸の源となりましたが、来るべき審判においては裁きの対象となることを聖書は警告を与えています。
- 罪からの裁きから救われるためにはどうすれば良いですか
- イエス様の十字架は人間の罪の身代わりとして存在しています。ですからイエス様を心に受け入れ、十字架の恵みを感謝し、罪が赦されていることを信じることです。あなたの罪は赦されているのです。イエス様はあなたに代わって罪の罰を受けました。
- イエス様を信じたらどんな恵みがありますか
- イエス様を心に信じ、イエス様を救い主として告白し、罪を悔い改め、罪から離れ、正しい生活を始めるときに、㈰罪赦され裁きにあうことがありません。㈪神の子とされます。㈫天国の民とされます。㈬永遠のいのちが与えられています。㈭終わりの時に復活があります。またこの地上での生涯においても勝利と平安に満ちた力強い毎日を歩むようになります。